老子の話【2】
『老子』の政治思想 顧問 片倉 望(三重大学 人文学部 教授)
『老子』は、その全篇が「無為」の統治の実現を王侯大人に求めた政治のための思想である。従って、その根本の所において、脱俗、非政治を旨とする仏教とは相容れない思想と言える。しかしながら「玄徳」という他人から知られることを極限まで排除した徳を、その徳道の基本に据えたが故に、あと一歩のところまで宗教に接近した思想であることも、また、一面の真実なのである。
かつて、大野伴睦という政治家は、「政治家に徳目を求めるのは八百屋で魚を求めるようなもの」という名言を吐いた。蓋し、至言ではあるが、実は意外なほどに政治の実態からは懸け離れている。何故なら、世に言う「立派な人」とは、そもそも自分に利益を与えてくれる人物に他ならないからである。田中角栄がいくら政治を私物化しようとも、絶対に選挙で負けなかったのは、地元、新潟県民の利益を確保してくれる立派な人だったからである。近年では、鈴木宗男しかり。地元民に利益を与える政治家は間違いなく道徳的に優れた人間なのであり、政治家の権力はその「徳」によってのみ、支えられているのである。
さてこういう類の政治に有効な道徳性が他人に知られることを絶対の条件としていることは、これまた見易いところであろう。こんなに良いことをしている、こんなにみんなのことを考えている、こんなにみんなのことを考えている、だから私を選んでください、と言うのが政治家のお得意の論理である。ところが、政治思想である筈の『老子』は、こういう類の道徳性をすべて偽善として排除すべきものと主張した。気持ちはよくわかるが、それが問題を面倒にしているのである。(39号に続く)
贅語
飴
柳下恵(りゅうかけい)という賢人は飴を見て、「歯のない親にあげたら喜ぶな」と言われた。大泥坊の盗跖(とうせき)は「この飴を敷居に引いたら音がせず戸があいて盗みに這入るのに都合がよかろう」と言って大そう喜んだという。(竹林庵主)
欲惜春
37号をお届け致します。ご寄稿下さった片倉顧問と竹林庵主に厚くお礼申上げます。(河)
▼如愚如魯(にょぐにょろ)とは…
潜行密用 如愚如魯
(せんこうみつよう ぐのごとくろのごとし)
人間の価値は、他人の見ていないところでの行動で決まるという言葉です。
真に自己を見つめて生きている人は、他人の評価を気にしない。だが最近では、そのような人はほとんどいなく人の目ばかり気にして行動し、裏では何をしているか解らない人が多くなっています。しかし他人が見ていない所での行いにこそ、人間の真価は問われているのではないでしょうか?
ささやかな仕事、目立たぬ仕事にベストを尽くし、利益や名前・肩書きの為でなく、人間としてなすべき事を行動として現してほしいものです。
「潜行密用」 潜に目立たぬように行うこと
「如愚如魯」 愚者のように振る舞うこと
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