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薬師如来奉賛会会報[如愚如魯]

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如愚如魯 薬師如来奉賛会会報 No.36 平成19年8月


薬師如来
  顧問 松原 哲明(まつばらてつみょう 東京都 龍源寺 住職)

 
中央アジアのキルギスタンの首都ビシケクの森にあった「薬の神様」石像のことを思い出しました。
 キルギスタンは天山山脈の北側とアラトウ山脈にはさまれたアジアのスイスといわれる山国で、昔三蔵法師がインドへと経典を取りに行ったコースにあります。キルギスの人は一目見て、日本人ではないのかと思われる風貌をしています。空港に降り立ったときに、出迎えの青年と目で挨拶したとき、なんでこんなところに日本人がおるのかいなあと思ったくらいでした。地元の言い伝えでは中央アジアに他民族が攻めたとき、一つは今のキルギスタンに、もう一つは日本にいったと伝えられていますので、ことのほか日本びいきが多いのです。
 ですから、地元の青年たちは日本語を学べる教室をたて、そこで日本語を教えたい、首都ビシケクの子どもたちの半分は日本語ができるようにしたい、援助を頼みますと言われたのです。結局予算の関係で一つしかできませんでしたが、三蔵法師の縁でその準備をしているときに「薬の神様」を見に行きませんかと言われたのです。ええ、ここには三蔵法師もインドに行くときに通過している。なにか一つお役にできないかと思っていましたから気分は前向きでした。
 ある森の公園の泉の茂みの中に「薬の神様」の石像が姿を見せたのです。明らかに薬師如来でありました。イスラム教による破壊を免れたのは仏教の像ではなくて「薬の神様」の言い伝えが効いたのでしょう。もし仏像とわかったら完全に破壊されてたはずです。薬師如来の大いなる力を見たように思いました。
 四天王寺の建立は「日本書紀」に有りますが、薬師如来にも本仏だけが知る歴史がありそうですね。みんなで奉賛しなくては。それは現代人の責任でもあります。


あげさせて頂きましょう  顧問 井上 義真(愛知県 豊川市 花井寺 住職)

 上げれば下がります。上げたものは必ず下がってきます。仏様に上げさせて頂ければ、必ず下がってきて結局は頂戴できます。
 お線香もお燈明も、仏様と同時に自分もちゃんと功徳にあずかります。お花に到っては、仏様に上げたいといいながら、自分が美しい花を見、お供物は、上げれば上げただけ全部下がってきて、結局は皆な自分が頂戴してしまいます。
 このように仏様に供養させて頂ければ戴くほど、自分も福を頂戴できることとなります。それゆえ、お互いの生活の上でも向こう三軒両隣、組内町内、血類(準親戚)親族がことある毎に、助けさせて頂き、御助けを頂戴しては福を分けあって、心豊かに生活してきました。
 しかし今日は自己中ですから、目先のことしか考えません。従って隣は何をする人ぞです。よしんば助けたとしても、助けてヤル、ヤラサレタ、ですから福は回ってきませんね。故に物質的には豊かかもしれませんが、福が回ってこないので、心寂しい生活をすることになってしまいます。残念なことですね。同じことを同じようにしていながら、功徳になるかならぬかは全て私共の心の持ち方次第です。昔の人の「・・・させて頂く」の言葉(言霊)を味わい実行したいものです。


お寺は今   顧問 日山 俊雄(三重県 志摩市 栖雲寺 住職)

 近年急激に加速する人口減少に伴い、日本にある寺院の半数近くが存続の危機に瀕していると言う。 ことに過疎地の寺院にとっては小さな寺から徐々に幾つか淘汰され、やがては廃院という切実な問題となってくる。
 私がこのことに心を痛め始めたのは数年前の、ある檀家総代さんの「和尚さん、このままだと栖雲寺の檀家も十年後には半分になるなぁ・・・」の一言でした。
 昨年の十一月頃だったか?、NHKの教育放送・ETV特集「お寺ルネサンスをめざして」という番組をみて衝撃を受けた。そこには、お寺の危機に、あるいはお寺の本来あるべき姿にもどすために、問題にしっかり向き合い真剣に取り組んでいる同世代の僧侶達の姿が紹介されていたのであった。
 お会いしてお話を伺ってみたくなった。
 翌年四月末。意を決して、その中のお一人、新潟県角田浜の妙光寺(日蓮宗)小川英爾師を訪ねてみた。
 新しい本堂や客殿、永代供養墓を視察させて頂いたり、師が長年の取り組みから培ってこられた大切なノーハウやコンセプトまで惜しみなく懇切丁寧に熱く語って披露して下さった。有難かった。嬉しかった。沢山の収穫を土産に叱咤激励を受け、深夜遅く帰山した。現在管内に兼務寺院や廃院の危機にある同宗派寺院がいったい何ケ寺あるのだろうか?この現実を今夏の施食会で檀信徒の皆さんに語ってみた。棚経で早速その反応はでた。もちろん反応は様々であったが、菩提寺存続の不安や自分の代で墓や位牌を継承できない檀家の切実な声も多々聴け、自らの使命を確信した。「この寺をこのまま終わらせてはいけない。檀信徒の皆さんの先の不安を解消しこれからの人生を平安に充実して生きて頂くための対策が必要である。」と。
 微力ながら行動を起こした。時々気がめげることがある。そんなとき、遷化した師匠の声が聞こえてくる。「仏飯で育てて貰った者、何かのご恩返しをしなければ・・・」。

(注)本稿は平成十八年九月に頂きました。従って文中の「昨年」とあるのは平成十七年、「四月末」とあるのは十八年四月末となります。


能登半島地震被災の興禅寺再建ご協力のお願い 

 本年三月二十五日の能登半島地震に被災し、全壊した輪島市の興禅寺の市堀住職(本奉賛会顧問)から四天王寺宛てに同封の「特別手記」と「北国新聞の記事」が送られてまいりました。被災した時の模様と再建に向けてのご努力の様子がひしひしと伝わってまいります。是非ご一読の上、皆さんの温かいご支援をお願い致します。

会    長: 谷 康弘
四天王寺住職: 倉島昌行


ご芳志をお送り頂けます方は下記にお願い致します。
〒928-0074 石川県輪島市鳳至町139 
法輪山興禅寺住職 市堀玉宗宛
電話:0768-22-0289


贅語 お盆にそえて(密傅)
 毎年お盆になると初盆を迎えられるご家庭に作法書を送ることにしている。
 ご当主が日ごろ無縁な棚作りに励み、少々不出来な霊棚(たまだな)でも家族中で飾って皆で供養する。とりわけ、食べられないが、今でも生きているが如くにご霊供膳を供えられる心が美しいと思われる。 自家のご先祖様が連なって、自分が此処に居るのだという自覚に目覚めること、このことこそ家族円満と言えよう。


塔世歌壇  会員 小林 伸一(津市)
 雑草(あらくさ)の
  中なる露草点々と
   一日花の藍を灯せり



欲惜春

「・・・木は重に楢の類で冬は悉く落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出づるその変化が秩父峰以東十数里の野一斉に行われて、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に時雨に雪に、緑陰に紅葉に、様々の光景を呈するその妙は・・・」 国木田独歩の「武蔵野」の一節です。
 今から百年以上も前の明治三十一年に発表されたこの作品ですが、武蔵野だけでなく、日本全国このような詩趣が見られたのでしょう。こんな風景を取り戻したい。保ちたい。故郷のお盆を思うとき、新聞に連載されている独歩の「詩」が改めて新鮮に感じました。(河)



▼如愚如魯(にょぐにょろ)とは…

潜行密用 如愚如魯
(せんこうみつよう ぐのごとくろのごとし)

人間の価値は、他人の見ていないところでの行動で決まるという言葉です。

真に自己を見つめて生きている人は、他人の評価を気にしない。だが最近では、そのような人はほとんどいなく人の目ばかり気にして行動し、裏では何をしているか解らない人が多くなっています。しかし他人が見ていない所での行いにこそ、人間の真価は問われているのではないでしょうか?

ささやかな仕事、目立たぬ仕事にベストを尽くし、利益や名前・肩書きの為でなく、人間としてなすべき事を行動として現してほしいものです。

「潜行密用」 潜に目立たぬように行うこと
「如愚如魯」 愚者のように振る舞うこと

 
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