老子の話【1】
『老子』と「道徳」 顧問 片倉 望(三重大学 人文学部 教授)
道徳教育に評価を取り入れる取り入れないを巡って喧しい議論が巻き起こっているが、「道徳」という言葉が『老子』という書物に由来するものであることを知るものは、実は意外なほど少ないようである。もっとも、『老子』の中に「道徳」という熟語は見えず、漢代に司馬遷の著した『史記』の列伝の中に、「老子は道徳を脩めた」という記述の見えることや、『老子』の上巻が「道経」、下巻が「徳経」と呼ばれていて、時に『老子道徳経』と表記されて来たことなどが、『老子』と「道徳」との繋がりを示す確かな根拠とされて来た。しかしながら、1970年代に馬王堆漢墓から発掘された絹の布に書かれた、所謂帛書『老子』は、「道徳」という熟語の不思議さを、コロンブスの卵にも似た衝撃をもって、我々に告げる働きをなすものであった。二冊の帛書『老子』は共に上巻が「徳経」、下巻が「道経」の構成を取っていたのである。翻って考えてみれば、我々の身の回りにある熟語の中で、「道」という漢字が上に付くものは少ない。
「柔道・剣道・華道・茶道」等々、殆どは「道」が後ろに付く熟語である。そもそも「道」という言葉の本義は、「やり方、方法」ということであり、華道、茶道と気取ってみても、所詮は華の生け方、お茶の入れ方の指南に過ぎない。それからすれば「道徳」という熟語の意味は明確ではなく、徳の実践の仕方、すなわち「徳道」という漢字の並びこそが本来の意味を持つことは見易いところであろう。さてこそ、『老子』に説かれる「徳道」の実態が次に明らかにされなければならない。(37号に続く)
贅語
禅の思惟方法は老荘思想にその影響を受けているとよく言われる。しかし実際どう影響を受けたかと説明できる方は少ない。伊賀市出身の中国哲学の権威金谷治教授の愛弟子片倉教授に『老子』を楽しく説明して頂くことになった。三回では一寸物足りない。本当は老酒をチビチビやりながら、ロイを伺いたいものである。(密傅)
欲惜春
余語老師の『正法眼蔵』に代わって、本号より隔月で3回に渉って、片倉教授の『老子』をお送り致します。ご愛読下さい。(河)
▼如愚如魯(にょぐにょろ)とは…
潜行密用 如愚如魯
(せんこうみつよう ぐのごとくろのごとし)
人間の価値は、他人の見ていないところでの行動で決まるという言葉です。
真に自己を見つめて生きている人は、他人の評価を気にしない。だが最近では、そのような人はほとんどいなく人の目ばかり気にして行動し、裏では何をしているか解らない人が多くなっています。しかし他人が見ていない所での行いにこそ、人間の真価は問われているのではないでしょうか?
ささやかな仕事、目立たぬ仕事にベストを尽くし、利益や名前・肩書きの為でなく、人間としてなすべき事を行動として現してほしいものです。
「潜行密用」 潜に目立たぬように行うこと
「如愚如魯」 愚者のように振る舞うこと
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