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![薬師如来奉賛会会報[如愚如魯]](../image/kaihou/title_kaihou.jpg)
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如愚如魯
薬師如来奉賛会会報 No.30 平成19年2月
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放下箸 顧問 市河 雄峰(いちかわ ゆうほう 津市美杉町長楽寺住職)
中国の唐時代、厳陽(ごんよう)という人が趙州(じょうしゅう)禅師に「一物不将来時如何」(いちもつふしょうらいのときいかん)無一物の境地になることが出来ました。この上はどうしたらいいでしょうかと尋ねた。趙州禅師は「放下箸」すべてを捨ててしまいなさいと言った。すると厳陽は「己(すで)に是れ一物不将来、這(こ)の什麼(なに)をか放下せん」今申し上げた如く、すでに一物も持っておりません何も捨てるものなどありませんと言った。すかさず、趙州禅師は「什麼(いんも)ならば則ち(すなわち)担取(たんしゅ)し去れ」何もないと言うなら、担いで行きなさいと答えたのです。禅師のこの一言で厳陽は大悟徹底(たいごてってい)したのでした。
(趙州語録)
私たちもすぐにうぬぼれたり、煩悩や心のあらゆることに執着(しゅうじゃく)したりして、なかなか無一物の境地になれません。全てを捨てきれず、金や物に、そして、この命も捨て切れません。
「無一物中無尽蔵」(むいちもつちゅうむじんぞう)「有花有月有楼台」(はなありつきありろうだいあり)という対句があります。無一物とは一点の曇りもない澄み切った境地、全てが無尽蔵の真実です。そういう境地で見ると、花も月も楼台をはじめ、すべての見るもの聞くものが輝いてみえます。人にもものにも真剣に向き合えば、そこには真実そのものが現れます。
贅語
三重県布教師会では六月に布教月間と称して希望寺院を伝道車で廻っている。二十代後半の頃に市河老師とご一緒させて頂いたことがある。 山間の小路に車を止めさせ「ここで街頭布教しましょう」と言って山の中腹で仕事をしている二、三人だけの人達に向かって語りかけだした。真剣なその姿に少々恥ずかしく思っていた自分の心に打たれるものがあった。(密傅)
塔世歌壇 会員 小林 伸一(津市)
枝々に花芽を確とはらませて
雪しまくなか桜木は立つ
欲惜春
寒中お見舞い申し上げます。30号です。ご寄稿くださいました市河顧問に厚くお礼申し上げます。
(河)
▼如愚如魯(にょぐにょろ)とは…
潜行密用 如愚如魯
(せんこうみつよう ぐのごとくろのごとし)
人間の価値は、他人の見ていないところでの行動で決まるという言葉です。
真に自己を見つめて生きている人は、他人の評価を気にしない。だが最近では、そのような人はほとんどいなく人の目ばかり気にして行動し、裏では何をしているか解らない人が多くなっています。しかし他人が見ていない所での行いにこそ、人間の真価は問われているのではないでしょうか?
ささやかな仕事、目立たぬ仕事にベストを尽くし、利益や名前・肩書きの為でなく、人間としてなすべき事を行動として現してほしいものです。
「潜行密用」 潜に目立たぬように行うこと
「如愚如魯」 愚者のように振る舞うこと
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