「正法眼蔵」解説
8 眼処聞声(げんしょもんしょう)
顧問 余語 道廣(亀山市関町瑞光寺住職)
この一句は「眼で声を聞く」ことでもなければ、「身心を挙して声を聴取する」ことではないと小生は受け取っています。『渓声山色』において「眼処聞声これ何必不必」とあります。何人も眼処聞声的あり方において生きていることであります。誰もが天地の生命(仏性)において生きて在ることに気づくことは大切ですが、新しく何かを獲得する必要はありません。その消息を「其中(ごちゅう)」と表現されてあります。眼で声を聞くことが出来ないと言うことは、「仏性」を「もの」化して六識で思考認識することの不可能性を同参同証している端的を「行(ぎょう)ずる」というのです。達磨大使の「不識」や羅漢禅師の「不知、最も親切なり」との呈示に通じています。世上、理解出来ないことを「禅問答のようだ」と云われていますが、生きて在る現今の自己を、そのまま大肯定する単純明快な一事が、禅史の骨格となっているのです。
贅語 異彩
◎どうしようもない私が 歩いている 山頭火
「其中一人作是唱言」(観音経)の「其中」が、正法眼蔵の中では、俄然、古今独歩の光芒を放つ。
「どうしようもない私」に苦しむ山頭火もまた、洞門の出家魂だけは、時に異彩を放つ。ようやく入手した草庵に、ためらわず、彼はこう命名した――「其中庵」!(竹林庵主)
欲惜春
27号をお届け致します。簡潔な文章をご寄稿下さった余語住職と竹林庵主にお礼申上げます。(河)
▼如愚如魯(にょぐにょろ)とは…
潜行密用 如愚如魯
(せんこうみつよう ぐのごとくろのごとし)
人間の価値は、他人の見ていないところでの行動で決まるという言葉です。
真に自己を見つめて生きている人は、他人の評価を気にしない。だが最近では、そのような人はほとんどいなく人の目ばかり気にして行動し、裏では何をしているか解らない人が多くなっています。しかし他人が見ていない所での行いにこそ、人間の真価は問われているのではないでしょうか?
ささやかな仕事、目立たぬ仕事にベストを尽くし、利益や名前・肩書きの為でなく、人間としてなすべき事を行動として現してほしいものです。
「潜行密用」 潜に目立たぬように行うこと
「如愚如魯」 愚者のように振る舞うこと
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