齋藤拙堂のこと
顧問 齋藤正和(拙堂の玄孫 齋藤拙堂研究会会員 三重県菰野町在住)
当四天王寺に齋藤拙堂の墓があります。彼のことは岩波の「広辞苑」に「江戸
末期の儒学者。名は正謙。津藩士。昌平黌に入り古賀精里に学び、藩の督学になる。詩文に秀で、また実用の学を尊び、種痘を藩内で実施させた。云々。」とあります。拙堂の紀行文「月瀬記勝」は明治の中期までロングセラーでしたし、著書「拙堂文語」は中国・清へ逆輸入されています。拙堂は儒学者でしたが仏教による先祖供養を肯定し、国学者が日本人は先祖を神道で祭るべきだというのに対して、「急に神道に変えて位牌の前で拍手を打ったら祖霊がびっくりするに違いない。それは不孝ではないか」と面白いことを書いています。彼は中国がアヘン戦争で負けたニュースを聞いて日本の武士階級に国防の自覚を促す言論活動を行いました。武士は社会のリーダーだから高い身分に応じた責務があると説いています。ペリーの黒船が来航して人々が怯えていた時、彼は「日本は開国して西洋技術を取り入れ欧米に対抗できる軍事力を整備すべきである」と説きました。「祖法を守る」とは「鎖国を墨守することではない、この時代に適した法を作ること即ち開国することだ」と説きました。またロシアの侵略に備えて北海道に屯田兵を置くことも提案しています。かのように拙堂はすぐれた先覚者であったのです。
贅語 密傳
人身得ること難し、仏法おうこと希なり。婦人会の方に問うてみた。「皆さん方で仏様に御霊供膳を作られる方は?」。ほとんどの方が手を挙げられた。それぞれの家風が想像できる。孫まで同居の家庭は少ないであろうが、それでも子供達が記憶し、孫たちも真似ていくことだろう。見えない御先祖を敬い、食べられない御霊供膳を作る。どうもこの辺から宗教的風光の分岐点と言える。
塔世歌壇 会員 小林 伸一(津市)
いま此処に生かされてある可不思議を
しみじみ思う五更に覚めて
欲惜春
彼岸も過ぎようやく過ごしやすい季節となりました。26号です。ご多忙の中、ご寄稿下さいました齋藤顧問に厚くお礼申し上げます。(河)
▼如愚如魯(にょぐにょろ)とは…
潜行密用 如愚如魯
(せんこうみつよう ぐのごとくろのごとし)
人間の価値は、他人の見ていないところでの行動で決まるという言葉です。
真に自己を見つめて生きている人は、他人の評価を気にしない。だが最近では、そのような人はほとんどいなく人の目ばかり気にして行動し、裏では何をしているか解らない人が多くなっています。しかし他人が見ていない所での行いにこそ、人間の真価は問われているのではないでしょうか?
ささやかな仕事、目立たぬ仕事にベストを尽くし、利益や名前・肩書きの為でなく、人間としてなすべき事を行動として現してほしいものです。
「潜行密用」 潜に目立たぬように行うこと
「如愚如魯」 愚者のように振る舞うこと
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