「正法眼蔵」解説
3 同参 顧問 余語 道廣(亀山市関町 瑞光寺 住職)
「正方眼蔵」に関連する書物は古来より今日に至るまで、その目録だけで一冊の書物ができています。解釈本だけでも数多くありますが、本の数だけ解釈も異なっているので、読者は迷ってしまいます。それは「眼蔵」の説示が、広大で深遠な天地の道理を言葉の可能性の限界点において駆使されていることが、難解さの主要な原因の一つと考えられます。一つだけの正しい人生というものがある訳ではなく、人の数だけ固有の人生があるように、人の数だけ固有の解釈があってもいいと思っています。眼蔵中の「同参」と言う言葉は、私の人生の歩みは総て、仏の生命(いのち)の歩みそのものである消息を語っているように感じられます。仏の生命の只中に在ることが「参」であり、それは人間の六識で認識できない故に「同」と表現されてあります。人類の歴史において積み重ねられて来た知識は学ぶことは出来ますが、どう生きるかという知識は、一人一人が独自に会得する以外にはありません。貴方という個人の生き方は、空前絶後の存在である以上、社会的な基本的ルールを逸脱しない範囲で自己流に生活する以外に道はありません。
贅語 大慈悲 顧問 倉島 昌行(四天王寺 住職)
かつて永平寺貫主であられた北野玄峰禅師が秋田の刑務所で講演をなさった時のことである。囚人達の前で「お前たちの母親がどうしてお前たちをこんな場所に入れようと生んだのか」と涙を流して一喝されたそうです。そして一人一人に合掌をされたそうです。改心した罪人は二度と刑務所の敷居をまたぐ者はいなかったと伝えられております。(丸子師談)
欲惜春
十四号です。お忙しい中ご寄稿下さいました余語住職に厚くお礼申し上げます。十月二十二日、第七回の例会が行われました。宮原九一顧問の若々しいお姿と巧みな話術に、そして何よりも素晴らしいご努力とご功績に一同感嘆と驚嘆の連続。瞬く間の一時間でした。顧問に厚くお礼申し上げます。(河)
▼如愚如魯(にょぐにょろ)とは…
潜行密用 如愚如魯
(せんこうみつよう ぐのごとくろのごとし)
人間の価値は、他人の見ていないところでの行動で決まるという言葉です。
真に自己を見つめて生きている人は、他人の評価を気にしない。だが最近では、そのような人はほとんどいなく人の目ばかり気にして行動し、裏では何をしているか解らない人が多くなっています。しかし他人が見ていない所での行いにこそ、人間の真価は問われているのではないでしょうか?
ささやかな仕事、目立たぬ仕事にベストを尽くし、利益や名前・肩書きの為でなく、人間としてなすべき事を行動として現してほしいものです。
「潜行密用」 潜に目立たぬように行うこと
「如愚如魯」 愚者のように振る舞うこと
|