「お盆に寄せて」 顧問 久間
泰賢(三重大学 人文学部)
今年もまたお盆の季節が巡って来ました。お盆とは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の略称なのですが実はこの「盂蘭盆」という言葉の由来については、幾つかの説があります。私自身は子供の頃、お盆というのは実家の寺の施餓鬼棚に載せてある、洗い米とナスやキュウリを入れた盆のことだろうと勝手に考え、いつ死者がそれを食べに来るのか、と勝手に怖がっていましたが・・・。
まず、インドの古典語であるサンスクリット語で逆さ吊りの状態(飢餓道に堕ちた死者の苦しみを表す)を意味する「ウッランバナ(ullambana)」を音写したものであるという説、あるいは文字通り、供物を捧げる盆器を意味しているという説、また一方ではペルシャ系のソグド語で「死者の霊魂」を意味する「ウルバン(urban)」に由来する説など。一体どの説が正しいのか、未だはっきり決着はついていません。
どの国や民族にも死者をまつる儀礼が存在することを考えれば、どの国の言葉が「お盆」の語源であったとしてもおかしくないのかもしれません。けれども、住居の中に米や野菜を用意し、死者を日常に招き入れる一種の「親密さ」−湿度の高い暑さの中で非日常と日常が溶け合っていく感覚−これは日本人として大切にすべきものではないか、と思っています。
贅語 倉島 昌行(四天王寺 住職)
「礼仏」(らいぶつ)
ある修行僧が仏道修行の道から外れた。師匠は弟子に『三千仏名経』で礼仏を命じた。三百仏まで弟子はブツブツ不平を露わにしていた。五百仏の時自分の後ろで師匠が同じように御拝をしているのを見て涙が溢れ出た。爾来弟子は改心して愚行を断った。
欲惜春
暑中お見舞い申し上げます。ひと際暑い夏です。三号をお届け致します。間もなくお盆です。今回は三重大学の久間先生にお盆についてお寄せいただきました。有難うございました。厳しい暑さの折、ご自愛のほどを。(河)
▼如愚如魯(にょぐにょろ)とは…
潜行密用 如愚如魯
(せんこうみつよう ぐのごとくろのごとし)
人間の価値は、他人の見ていないところでの行動で決まるという言葉です。
真に自己を見つめて生きている人は、他人の評価を気にしない。だが最近では、そのような人はほとんどいなく人の目ばかり気にして行動し、裏では何をしているか解らない人が多くなっています。しかし他人が見ていない所での行いにこそ、人間の真価は問われているのではないでしょうか?
ささやかな仕事、目立たぬ仕事にベストを尽くし、利益や名前・肩書きの為でなく、人間としてなすべき事を行動として現してほしいものです。
「潜行密用」 潜に目立たぬように行うこと
「如愚如魯」 愚者のように振る舞うこと
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